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YOUR WORDS ~摂理の御言葉~

このサイトはキリスト教系新興宗教「摂理」に関わった方向けの情報系サイトです。 主に摂理の根っこである「御言葉」やそこでの文化についてあげていきます。

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イエス様の身を捧げた宗教

イエス様の死は本来の御心ではなかった」という主張は、
一部の宗教による改革の主要な動機となっています。


死という避けられない運命を否定するものと批判的解釈がなされますが、
当の宗教側からは超越者の知恵と力を受けた能力者が十分力を発揮できなかった
というのが正しい解釈だからとその批判を退けようとします。
双方の主張をたどっていくと
結局は死生観の問題に行き着きます。


人は自分の命を捨てることで全能者の愛を体現し、
人を生かす存在となれるのか

それともより特別な能力と知恵を開発した人間が他者を凌駕し、
神様の力を借りて他人を生かす存在となっていくのか

カルトと正統という単純な二分割以上に、
面白い議題を展開していくと思います。


この疑問について考えるとき、
ほふられる羊とイエス様を重ねる聖句を避けることはできません。
イザヤ53章にあるこの聖句は
旧約と新約を繋ぐ関節のような役割も果たしています。


時代と文化、宗教的差異を超えたこのような解釈法は
キリスト教誕生の契機となっただけでなく、
新興宗教が自分なりの宗派をつくっていくのにも役立っています。
それだけに各宗教の正当性と人生観を示すため、
非常に重要なメッセージとなっています。


ところで、先日福島原発事故で
20キロ圏内の警戒区域内にいる家畜について
殺処分するという報道を見ました。
当該の地域では人が滞在できず餌を与え続けられないという事情で、
多くの家畜たちが本来の目的とは違う形で処分されてしまったようです。
飼育していた人達は、どちらにしても奪うはずの命のために涙を流していました。


イエス様が律法学者など権力者側の視点からでなく
生活者の視点から神様の御心を説いたと考えると、
この出来事に真理への手がかりを感じます。
このメッセージを通したとき、
果たして新興宗教の解釈は
イエス様の死の意味を一般教会より正確に反映しているのでしょうか。
ちょっと考えてみると面白いかもしれません。
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  • 2011.12/07 21:34分 

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